ユナイト株式会社|山梨の不動産相談、50歳からの住宅探し

マンション25 Mar. 2018

マンションのはじまり

戦後になりますが、日本で最初の分譲マンションは渋谷の宮益坂アパート(1953年)です。
この分譲マンションは、渋谷駅に近く、店舗と事務所と住宅の構成になっています。東京都が売主ですが、当時はまだ住宅ローンがありませんでした。そのため、支払条件は3割、7割の2回払いというもの。現金を持っている人しか買えないものでした。
民間が行う分譲マンションの第一号は、四谷コーポラス(1956年)です。鉄筋コンクリート造り5階建てで、住戸はメゾネットとフラットタイプがあり、水回りはオーダーメード設計でした。割賦販売が民間分譲マンションに適用されたのはこれが初めての事例らしく、高額なマンションが庶民に普及するきっかけになったので、建築史としても重要な位置づけです。残念ながら昨年解体され、現在建て替え中です。

四谷コーポラス 外観

四谷コーポラス 廊下

ちなみに、民間分譲で初めての高層分譲マンションは、東急スカイライン(1957年)で、地上9階地下1階です。これも当時としてはかなり高額なマンションで、購入者も法人や高額所得者だったとのことです。

高度成長期のマンション

1964年の東京オリンピックに伴う都市改造ブームで、民間分譲マンションのブームが起こりました。
この時代の代表的な分譲マンションが、コープオリンピアです。原宿駅の斜め前で表参道沿いに建っており、1965年(昭和40年)当時の分譲価格が最高で1億円を突破したことから、いわゆる『億ション』の第一号でもある。エレベーターや空調設備を完備するとともに、ホテルのようなフロントサービスを導入、当時考えられる技術・サービスとして最高水準のものを備えたそうです。現在でも賃貸に出されている部屋は、家賃が26万~60万円もします。

コープオリンピア

コープオリンピア

低成長期のマンション

1970年代には分譲マンションの大衆化が始まり、一般のサラリーマンの年収の5倍で購入できる分譲マンションがたくさん供給され、マンションブームが起きました。

バブル期のマンション

1980年代には、バブル景気により、分譲マンションンは買い替え需要と投資需要でマンションブームが加速しました。立地と価格に二極化が生じて、一般ファミリー向けマンションは郊外に移動し、都心部では億ションや投資向けのワンルームマンションが多く供給されました。

史上最高の分譲マンションの供給

2001年には、1年間で何と22万戸もの分譲マンションの供給がありました。

これからの分譲マンション

2016年において、全国での分譲マンションストック戸数は633.5万戸となりました。
日本は2005年から人口減少がはじまり、日本国内の地域ごとの住宅数の伸びに大きな差が生まれ、世帯構成も核家族の割合は3割を切り、若者および高齢者の単身者、夫婦のみの世帯が多くなってきています。
その中で、若年層を中心にシェア居住などの新しい試しみも生まれてきています。
間違いなく、これからは『新築から、ストック住宅のリフォームの時代』になってきています。

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